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大阪地方裁判所 昭和54年(わ)3966号 判決

主文

被告人姜明桂及び被告人姜健中をいずれも懲役四月及び罰金五、〇〇〇円に、被告人姜明竜を懲役一〇月及び罰金一万円に各処する。

被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、それぞれ金二、五〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から、被告人姜明桂及び被告人姜健中に対しいずれも二年間、被告人姜明竜に対し三年間、それぞれその懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。

昭和五四年七月二六日付起訴にかかる公訴事実第一のうち、被告人姜明桂については巡査清川悦照及び同為井四郎に対する各公務執行妨害、傷害につき、被告人姜健中については警部補植田了一及び右為井四郎に対する各公務執行妨害、傷害につき、被告人姜明竜については右植田了一及び同清川悦照に対する各公務執行妨害、傷害につき、いずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人姜明桂(以下、被告人明桂という。)は、大阪市で出生し、中学校卒業後約五年間家業を手伝っていたものの、昭和五三年二月ころから大阪府守口市のプラスチック加工業綾城商事に製品販売員として勤務していたもの、被告人姜健中(以下、被告人健中という。)は、大阪市で出生し、高等学校中退後約八年間工員、会社員、店員などの職を転々とし、昭和五三年五月ころから運送業者として右綾城商事に出入りし、その荷物の搬送に従事していたもの、被告人姜明竜(以下、被告人明竜という。)は、被告人明桂の実兄であり、高松市で出生し、高等学校中退後約七年間家業手伝いなどをして、昭和五一年ころから右綾城商事で運転助手として稼働していたものであるが、

第一  昭和五四年七月一五日夜、右綾城商事の経営者綾城正男こと具滋台(以下、滋台という。)の仲介で被告人健中のために見合の席が設けられ、被告人三名に滋台ら九名を加えた総勢一二名で大阪市南区に出向き、二時間足らずの間飲酒した後宗右衛門町筋から戎橋を渡り道頓堀筋を通って守口市へ帰る途中、滋台の弟で被告人ら一行の中の一人綾城弘こと具弘(以下、弘という。)が通行中の女性二名に対し、酔余その身体に触れ髪をつかんで引き倒す等の暴行を加えたため、同女性らの通報により大阪府南警察署道頓堀派出所勤務の警部補植田了一が部下の制服警察官三名を連れて被告人ら一行を追跡し、同日午後一一時五分ころ、大阪市南区西櫓町四六番地先路上において、同女性らの指示した弘に対し暴行事件の容疑者として職務質問を開始したところ、被告人ら一行の中の数名の者が滋台を先頭として割って入り口々に「わしら関係ない。」などと警察官らに詰め寄ってこれを妨げようとしたことから、事情を説明しつつ警告し何とかこれをなだめて弘に対する質問を続行しようとする警察官らと対立しあう形になり、そうするうち、同日午後一一時一〇分ころ、右同所において、被告人明桂が、右説得にあたっていた植田警部補に対し、いきなりその左顔面を手拳で一回殴打して暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害するとともに右暴行により左上顎部挫傷の傷害を負わせ、続いて被告人健中が、右公務執行妨害の現行犯人として被告人明桂を逮補しようとした巡査清川悦照に対し、その前方に立ちふさがり同人の所持する警棒をつかみ同人の顔面を手拳で二回くらい殴打する等の暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害するとともに右暴行により約五日間の安静加療を要する左上顎部挫傷兼口腔内挫創の傷害を負わせ、さらに被告人明竜が、右公務執行妨害の現行犯人として被告人健中を逮補しようとした巡査為井四郎に対し、その顔面を手拳で一回殴打する等の暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害するとともに右暴行により約五日間の安静加療を要する左上顎部挫傷の傷害を負わせ

第二

一  被告人明桂、同健中及び同明竜は、いずれも外国人登録証明書の交付を受けている朝鮮人であるのに、昭和五四年七月一五日午後一一時一〇分ころ、大阪市南区西櫓町四六番地先路上において、それぞれその登録証明書を携帯せず

二  被告人明竜は、朝鮮人であって昭和四九年一〇月一四日外国人登録の確認を受け大阪府東大阪市《番地省略》に居住していたのに、右確認を受けた日から三年を経過する昭和五二年一〇月一四日前三〇日以内に東大阪市長に対し登録原票の記載事項が事実に合っているかどうかの確認を申請しないで右期間をこえ、昭和五三年二月二〇日ころまで同所等本邦に居住在留し

第三  被告人明竜は、昭和五二年六月二一日午後三時ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、京都府与謝郡野田川町字上山田の大宮町境界から約四〇〇メートル水戸谷交差点側の国道一七八号線を水戸谷交差点方面から大宮町方面に向かい進行中、前方を同方向に進行する先行車両二台をその右側方から追い越そうとしたが、同所は、追い越しのための右側部分はみ出しが禁止されており、かつ左方に曲る見通しの困難な曲り角であったから、追い越しを厳に差し控えるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、対向車は多分あるまいと軽信し、道路右側の対向車線に進出して時速約五五キロメートルで前記両車両の追い越しを開始した過失により、折から対向車線上を大宮町方向から進行してきた安里いり(当時二六歳)運転の普通乗用自動車を前方約三六・七メートルの地点に発見して急制動をかけたが及ばず、同車前部に自車前部を衝突させ、よって同人に加療約一年間を要する頸部症候群症等の傷害を、同人運転車両の同乗者小田富佐江(当時二六歳。現姓安里)に加療約一年間を要する頸部症候群症、頭部打撲等の傷害を、それぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人三名それぞれの判示第一の所為のうち、公務執行妨害の点はいずれも刑法九五条一項に、傷害の点はいずれも同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の一の所為はいずれも外国人登録法一八条一項七号、一三条一項に、被告人明竜の判示第二の二の所為は同法一八条一項一号、一一条一項に、判示第三の所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、被告人明桂及び同健中については、いずれも、判示第一の公務執行妨害と傷害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪について定めた懲役刑で処断し、判示第二の一の罪について所定刑中罰金刑を選択し、以上は併合罪であるから、同法四八条一項本文により第一の罪の懲役と第二の一の罪の罰金とを併科し、その所定刑期及び金額の範囲内で右被告人両名を懲役四月及び罰金五、〇〇〇円に各処することとし、被告人明竜については、判示第一の公務執行妨害と傷害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪について定めた懲役刑で処断し、判示第二の一及び二の各罪について所定刑中いずれも罰金刑を、判示第三の罪について所定刑中禁錮刑を各選択し、以上は併合罪であるから、懲役刑及び禁錮刑については同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の懲役刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条一項本文によりこれを右懲役刑と併科することとし、同条二項により判示第二の一及び二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人明竜を懲役一〇月及び罰金一万円に処することとし、被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、同法一八条によりそれぞれ金二、五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から被告人明桂及び同健中に対しいずれも二年間、被告人明竜に対し三年間それぞれの懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人三名に連帯して負担させることとする。

(補足説明)

弁護人は、本件各公務執行妨害、傷害の事犯につき、(一)右各罪の成立の前提となるべき警察官の適法な職務行為が存在しない。(二)被告人明桂の行為は、警察官の急迫不正ともいうべき違法行為から被告人健中を救出するため已むを得ずなされたもので、正当防衛ないし緊急避難に該当する。(三)仮りに被告人明桂が植田警部補を殴打したとしても、そのとき同人は被告人ら一行の一人である高槻潤と対立を分ける話をしていたものであり、その形態、日時、場所の点において職務質問行為とは全く異質なものと考えられるから、二つの行為を一体とみることはできず、従って被告人明桂が右いずれの行為を妨害する意思であったかが明らかにされない限り、同被告人の公務執行妨害罪の成立につき証明十分とはいえない。(四)被告人健中の行為は、自己の生命、身体に対する警察官の違法な侵害行為から自己を守るため已むを得ず抵抗したもので、正当防衛に該当する。(五)被告人明竜は故意に為井巡査に対し暴行した事実はなく、仮りに故意に同人を殴打したとしても、それは警察官の急迫不正ともいうべき違法行為から被告人健中を救出するため已むを得ずなしたもので、正当防衛ないし緊急避難に該当すると主張するので、以下検討する。

一  証拠の信用性について

1  本件では、被告人側の言い分と警察官側の言い分とが食い違っているうえ、供述証拠しか存せず客観的証拠に乏しいため、事実認定にあたっては関係者の各供述につきその信用性の慎重な検討が必要であるが、関係者の供述はいずれもそれぞれの体験を内容とするものであるから、混乱状態に陥った後の部分については断片的にならざるを得ず、混乱の具体的内容を認定するにあたってはこのことに留意しておく必要があるところ、本件に関する供述証拠のうち、第八及び第九回公判調書中の証人為井四郎の各供述部分(以下、まとめて為井証言という。)、第一三回公判調書中の証人西口政孝の供述部分(以下、西口証言という。)、第一六回公判調書中の証人金云泰の供述部分(以下、云泰証言という。)及び第一六回公判調書中の証人高山栄子の供述部分(以下、栄子証言という。)など、かなりの証拠が混乱状態発生後の体験を主な内容としており、しかも為井証言を除き被告人健中の出血の前後を起点としているのであるが、混乱発生のきっかけが被告人健中の出血にあるのか被告人明桂が植田を殴打したことにあるのか、またそれ以前の警察官らの態度はいかなるものであったかについての事実認定は、本件各供述証拠を評価し混乱の具体的内容を認定するうえで重要な意味を持つと考えられる。

2  西口証言のほか、第一〇回公判調書中の証人塩田洋子の供述部分(以下、塩田証言という。)及び第一一回公判調書中の証人牧知英子の供述部分(以下、牧証言という。)は、被告人らとも警察官らとも利害関係を持たない第三者の証言として、他の供述や証言に比して信用性が高いと考えることができ、他の証拠の信用性を検討する際の重要な資料にもなると思料される。もっとも、これら証言についても、西口は混乱の途中から野次馬の一人として目撃した者、塩田及び牧は混乱発生後現場から少し離れた位置にいて目撃した者であるから、いずれも限界があることは否定できない。

3  第四回及び第五回公判調書中の証人植田了一の各供述部分並びに同証人の当公判廷における供述(以下、まとめて植田証言という。)、第六及び第七回公判調書中の証人清川悦照の各供述部分(以下、まとめて清川証言という。)、第一一及び第一二回公判調書中の証人野口慎一の各供述部分(以下、まとめて野口証言という。)並びに為井証言は、いずれも本件の被害者となった警察官側の証言であることを考慮しなければならないが、これらを仔細に検討してみると、いずれもその内容に格別の不自然さがなくその大筋において相互に符合していて、無理に供述を一致させようとしたり、故意に虚偽の事実を仮構しようとしたふしは窺い難い。ことに植田証言は、警察官として約二一年間の経験を積み、当時現場において警察官側の責任者として自ら質問・説得行為を行い、その後の事態に際しても全般を掌握すべく対処していた者の証言として、相当程度の信用性を認めてよいと考えられる。

4  第一四回公判調書中の証人具滋台の供述部分(以下、滋台証言という。)及び第一五回公判調書中の証人沈節幸の供述部分(以下、節幸証言という。)は、事件当初からの経験を持つ者らの証言として、被告人らの防禦上のみならず事実認定上も重視されて然るべきものであるが、同証人らは被告人側の関係者であり、また飲酒の事実があるうえ、両名とも当時かなり興奮していたことが窺われ、さらに混乱状態の中で節幸のほか被告人側関係者三名が警察官から傷つけられたため、これに強い反感を抱いていることが認められるから、その信用性に疑問をさしはさむ余地があることは否定できない。

5  被告人らの各供述も捜査段階からそれぞれほぼ一貫しており、かつその内容を検討しても故意に虚偽の供述をしているとは考え難いが、被告人らは事件当夜守口市にある綾城商事においてビールを一人大びん一本位あて飲んだうえで大阪市南区にあるパブ茶屋に赴き、そこでも二時間足らずの間にブランデーの水割りを飲んだこと、水割りの飲酒量についての各被告人の供述は捜査段階と公判後とで異なっているものの、少なくとも全員(女性四人を含む一二人)でボトル二本、被告人明桂がグラス五、六杯位、被告人健中がグラス三杯位、被告人明竜がグラス七、八杯位と認定でき、飲酒時間が短く、その前にビールを飲んでいることをも併せ考えると、被告人らは、それぞれの弁解にもかかわらず、自制心を失わせるほどではないにせよ、事件当時相当程度酩酊していたと認められるうえ(捜査段階において全員の飲酒量を右認定より多めに供述したこと自体、被告人ら自身も相当量飲酒していたとの自覚を有していたと推認できる。)、混乱状態の中で被告人健中の頭からの出血という異常事態が発生し、興奮した精神状態にあったと考えられるからその記憶をそのままに受け取るのには、若干の躊躇を覚えざるを得ない。

以上各供述証拠の信用性を判断するに当り考慮すべき事由を指摘したが、これらを踏まえて、以下事実関係を検討する。

二1  本件混乱状態に至るまでの警察官らの行動について

植田証言、清川証言及び野口証言を総合すると、同証人らはいずれも事件当夜警ら巡回の職務に従事して道頓堀派出所に勤務していたところ、午後一一時ころ牧知英子及び塩田洋子の二女性から「五、六名の酔払いの中の一人に殴られるなどの暴行を受けたのですぐ捕まえてほしい。」旨の申告があり、そこで、植田警部補、清川巡査、仲野巡査及び河野巡査の四人の警察官が両女性を伴って追跡し、午後一一時五分ころ本件現場において両女性の指示により暴行犯人とみられる男(後に弘と判明)を発見したので、このころ後から駆け付けてきた野口巡査も加わって、弘に対し職務質問を開始した、植田が清川と共に声をかけ、「ちょっと来てくれ。」と言い、両女性への暴行という被疑事実を告げたうえ事情を聞きたい旨話したのであるが、弘は「何も知らん。」と言って質問に答えず、「あんたどないしたんや。」と女性に怒鳴り掛る始末であり、牧に確認を求めると「この人やったと思います。」とやや後退した返事しか得られなかったものの、申告の際に聴取していた犯人の服装及び人相と一致することや、現場に至るまでの同女の様子、女性に突っ掛った弘の態度などから、植田は弘が犯人に間違いないと考え、同人に対し派出所への同行を求めた、そこへ突然社長と呼ばれる男(後に滋台と判明)が割って入り、「どないしたんや。わしら関係ないで。この男を連れていってどないするんや。人違いやったらどうするんや。」などと植田に食って掛り、植田が弘に対する被疑事実や職務質問している旨を説明し、邪魔をしないように求めても、酔って興奮していた滋台は全く聞き入れず、さらに同人の連れ四、五名も割り込んできたため、牧と塩田の確保に当っていた河野巡査を除く警察官四人と滋台らとが対峙する形となったが、警察官らは、説得を聞かずてんでに「わしら関係ない。」などと繰り返す滋台らに押され、そのころ一〇〇人位集っていた大勢の野次馬の見守る中で、道路北側へと後退するのを余儀なくされた、との事実を認めることができ、以上の事実、右、の間警察官らが冷静であって滋台らが興奮し乱暴であったこと及びにおいて警察官が弘を取り囲んではいなかったことは、牧証言及び塩田証言によっても裏付けられるところであり、右の点に関する節幸証言は措信できない。なお、弁護人は警察官らが弘を連行しようとしていたと主張するが、既に見たように警察官らが弘に対し強制力を加えようとしたとの事実は認められないし、右主張がその根拠に挙げる滋台証言や節幸証言も、たんに同人らの感想として述べているにすぎないから、右主張は根拠がないと言うべきである。

2  本件混乱状態のきっかけについて

植田証言によると、前示の後警察官らは一人が二、三人を相手にする形になって被告人ら一行と対峙していたが、植田は最初一行の責任者と思われる滋台を相手に説得していたものの、全く耳を貸してもらえなかったため、比較的冷静であった高槻を相手に、双方を分ける話し合いを始めた、ところがその時、植田の左側前方にいた人物が植田の左こめかみを一回殴って右側の群衆の中に逃げ込むという事態が発生し、植田の指示で清川がこの人物を公務執行妨害の現行犯人として逮捕すべく追って行ったことからそれまでの対立状態が崩れて混乱状態となり、清川は相手の四、五名に妨害された、植田を殴打した人物は、人に抜きんでて背が高かったのと、紺の長袖オープンシャツを着ていたことから、被告人明桂に間違いないと特定できるなどの事実を認めることができ、右事実は、殴打直後を目撃したという清川証言及び野口証言並びに「警察官が言い合ってさがって来た状態の時、誰かはわからないけれど最初にお巡りさんを殴ったのを見た。それからわぁっとなった。」旨の牧証言によって裏付けられる。ところで、被告人明桂は「当時自分は金云泰らを案内して一行の先頭付近におり、約一〇メートル後方に騒ぎを聞きつけた云泰がそちらの方へ戻ろうとしたので、いったんは同人を制止したが、これを振り切って行ってしまった同人を追って自分も現場まで走って行った。すると、被告人健中が道路北側にあるシャッターの前で頭から血を流している状態で数人の警察官から暴行を受けており、これを止めるため警察官を後から引っ張っていたところ、植田に後から制止されたので同人ともみ合いになり、その際被告人健中のことが心配のあまり思わず手拳で植田の左頬を一回殴ってしまった。」旨供述し、右供述の前半部分は云泰証言と一致しているものである。しかしながら、最初道路南側で始まった口論が次第に北側へと移行していったことは証拠上明白であるところ、云泰証言によると、同人は被告人明桂の制止を振り切って口論の現場に戻り、まず道路南側で警察官と話し合いを始め、被告人明桂はすぐあとを追って来た、というのであり、また、植田証言によると職務質問開始から混乱発生までに少なくとも三分間はにらみ合いの状態があったというのであるから、被告人明桂がたとえ一行の先頭付近にいたとしても、云泰とほとんど同じ時期に現場まで戻り、警察官との口論に参加していたと認めるに支障はないと言うべきである。そして、被告人明桂が植田を殴打する瞬間を目撃した第三者はないが、その直後の状況から同被告人に間違いないとする前示清川、野口の各証言が存するし、のように殴打犯人を特定した植田証言にも説得力がある(被告人ら一行のうち、植田と話し合いを始めていた前示高槻を除くと、人に抜きんでて背が高く、紺の長袖オープンシャツを着ていたのは被告人明桂のみである。)ことを考慮すれば、植田を殴打した事実は認めながらそのときの状況につき違った弁解をする被告人明桂の前示供述は、酩酊のうえ混乱した状況下での興奮した精神状態のため記憶に混乱を来たしているものと考えるのが相当である。

なお、被告人健中の出血時期については、警察官らの証言と被告人らとの供述・証言とでは大きく食い違っており、野口証言は「清川が被告人明桂の逮捕にむかったところ、被告人健中が清川の警棒をつかむなどして同人を妨害したので、警告を発したうえ同被告人の右肩辺りをめがけて警棒を振り下したが、同被告人の頭部に当ってしまったらしく、頭から血が出て来た。」旨であるのに対し、被告人健中は「仲間が警察官と言い争っていたので止めに入ったところ、羽交締めにされて道路北側まで連れて行かれ、そうするうち警察官がやって来て着衣を破られるなどし、特に前から警棒を持ってやって来た警察官には殴られると思ったのでその警棒を右手で握り、警棒の奪い合いになったが、警棒が手から離れた瞬間に頭をがつんと殴られた。出血を知ってから自分も興奮して警察官に殴りかかり、一回だけ手が当ってしまった。」旨供述し、弁護人はこの供述に従って、警察官側が先に手を出したのであり、被告人健中の出血が混乱の発端であった旨主張する。しかしながら、当初警察官らが冷静であったことは前示認定のとおりであるし、日頃酔漢の多い場所で外勤警らに従事し酔払いの扱いには慣れていると考えられる警察官が、大勢の野次馬の見る前で、明らかに飲酒酩酊している被告人ら一行を相手にして、しかも相手側の人数を過大評価している状態において、理由もなく先に手を出すというのは考え難いところであるうえ、この点に関する被告人ら一行の者の供述・証言はいずれも出血のころを起点としているが、前示牧証言に照らしても(同証人も出血が印象的であったことは記憶しているのである。)、出血を混乱の発端とする根拠になるとは必ずしも言えず、一行の一員である被告人健中の出血という事態があまりにも衝撃的であったので、その部分の記憶のみが鮮明に残存し前後関係に錯綜を来たしたものと考えられるのである。そうすると、混乱のきっかけは被告人明桂が植田を殴打したことにあり、被告人健中の出血はその後であったと認められる。

3  混乱の具体的内容について

この点に関しては各人の供述、証言が断片的に分かれており、したがって混乱の全体を詳細に認定することは困難であるが、前示1、2の事実認定の経過からすると、被害者として個別具体的に混乱の場面を体験し、加害者を現認した警察官の証言に、その場面に限り信用性を認めるのが相当であると考えられるところ、植田証言、野口証言、為井証言を総合すると、被告人明桂が植田を殴打して群衆の中に逃げ込んだ後、これを逮捕しに行った清川に対し、被告人健中を含む被告人ら一行の中の三、四名がその前に立ちはだかるようにしてこれを妨害した、このころ、応援要請を受けた為井巡査及び藤田巡査の両名が現場に到着し、群衆をかき分け、為井が大声で「やめんかい。」と言って制止に入った、この間被告人健中が清川の所持していた警棒をつかみ、さらに他の者が清川の右腕をつかみ後から押すなどして万歳する形にし、その際被告人健中が清川の顔面を殴打するなどの暴行を加えた、またこのとき野口が清川の警棒を握って離さない被告人健中の右腕から右肩の辺りをめがけ自分の警棒を振りおろしたところ、同被告人の頭部に命中した、一方清川が男たちに取り囲まれているのを見てこれを制止しに行こうとした為井は、被告人明竜を含む三人に羽交締めにされ、その時被告人健中が清川の顔面を殴打するのを目撃したので仲野巡査に逮捕を指示したが、自分も羽交締めを解いた後被告人明竜から顔面を殴打された、との事実を認めることができる。なお、被告人明竜は、公判段階において「自分は一人一行から離れて先頭近くを歩いていたが、後の方でシャッターにぶつかる音がしたので振り返ると被告人健中が三、四人の警察官に囲まれ頭から血を流しているのが見えた。そこで同被告人を助けにいこうとしたところ、警棒を持った警察官に二回押し倒され、それでも起き上ろうとしたとき手がすべって相手の顔に当ってしまった。」旨供述しているのであるが、同被告人の捜査段階における供述と一貫しないこと、被告人健中がシャッターの所に行くまでには被告人ら一行と警察官らとの間に相当激しいやりとりがあったことは証拠上明白であるのに、シャッターにぶつかる音を聞くまで事態に気付かなかったというのは到底信用できないこと、被告人健中の供述によると被告人明竜が最初の時点で滋台の傍にいたことが窺われること、植田証言や被告人明竜の公判段階における供述によると同被告人は当時かなり酔っていたと認められることなどに照らすと、同被告人の前示公判段階における供述は措信できない。

三  以上認定の事実関係をもとにして弁護人の主張を検討する。

1  弁護人の主張(一)(適法な職務行為が存在しない旨の主張)について

警察官による職務質問はこれを受ける者の任意の承諾を条件とし、これに反して質問を行ったり継続したりすることは許されないが、だからといって拒否されればそれ以上如何なる行動にも出られないのではなく、質問を拒んだ相手に対し強制にわたらない範囲でその翻意を求めてこれを説得することもまた警察官が適法になしうると解すべきところ、質問に着手し拒否する相手に翻意を求めて説得している際にこれを妨害する者があれば、質問・説得を継続するためその妨害を排除する行為も、当初の質問行為との間で時間的場所的に近接している限り、職務質問に付随する行為として適法な職務行為と評価すべきである。本件で植田が高槻と行っていた対立を分ける話し合いは、まさに質問・説得を継続するためその妨害を排除しようとする行為にほかならず、前示認定事実ないしのような事情が存し、時間にしてせいぜい三分程度、距離にして一〇メートル前後で、その間説得行為が継続してなされたことを考えると、結局最初の職務質問行為と対立を分ける話し合い行為との間に連続性が認められ、両者は一体として適法な職務行為とみるのが相当であり、さらに、前示認定事実ないしに徴すると、植田が牧らの申告と弘の態度を見て職務質問を開始したこと、すぐに野次馬の集まる場所での質問続行を不適切と考え弘に対し派出所への任意同行を求めたこと、相手の飲酒がわかったので強行的手段をとらず被疑事実も説明のうえ説得に努めたことなど、すべて適切であり、植田の行為につき警察官職務執行法二条の要件が具備していたのは明らかである。そうして前示認定のないしの事実関係に徴すると、清川が被告人明桂を、為井が被告人健中をいずれも公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようとした行為が適法な職務行為であることは明らかであるから、弁護人の(一)の主張は失当である。

2  弁護人の主張(二)、(四)、(五)(被告人らの所為はいずれも正当防衛ないし緊急避難である旨の主張)について

前示のように植田、清川及び為井らの行為はいずれも適法な職務行為であるから、弁護人の主張はその前提を欠くものというべく、また、被告人明竜が故意に為井を殴打し、その適法な職務行為を妨害したことは前示認定のとおりであるから、これらの点についての弁護人の主張も採用の限りではない。

3  弁護人の主張(三)(被告人明桂につき、公務執行妨害罪の成立は証明十分とはいえない旨の主張)について

被告人明桂は、警察官が弘に対し職務質問を開始する以前に、弘が女性に暴行を働いた事実及び警察官らが女性を連れ追跡して来ている事実を認識していたのであるから、前認定のように対立を分ける話し合いの場に赴いたとき当然植田の行為の意味を理解していたと認められ、被告人明桂につき公務執行妨害の故意の存したことは明らかであり、この点の弁護人の主張も採用できない。

(一部無罪の理由)

検察官は、被告人らによって妨害された公務の執行は、職務質問行為と公務執行妨害現行犯人逮捕行為とからなる一連の行為としての公務執行であり、被告人明桂が当初植田を殴打した時点でその後のすべての公務執行妨害行為につき、被告人らに、現場で共謀が成立した旨主張するので、考えてみるに、

本件のように、偶発的な事由から事態が発展し、あちらこちらで複数対複数の者が対立している場合には、将来、誰が誰に対してどのような行為に出るかということは予測不可能であるから、公務の概念を右のように把握するのは概括的にすぎると考えられるし、また共謀内容としても漠然として不適切というべきである。本件において植田の職務質問行為から清川及び為井による公務執行妨害現行犯人逮捕行為にいたる一連の行為は、時間的、場所的に密接した関係にあるとはいいえても、当初予測されなかった事態の発生に応じ、警察官が別個独立の職務行為として執行し、それぞれ妨害を受けたのであるから、各職務の執行が妨害された数に応じ別罪が成立し、併合罪の関係にあると考えるのが相当である。そして前掲証拠によると、被告人明桂の判示所為は突発的な行為であったことが明らかであり、被告人らはいずれも別個独立の動機から、単独で、判示各犯行に及んだもので、被告人明桂が右所為に及んだ際被告人健中及び同明竜の存在や行動を、被告人健中が右所為に及んだ際被告人明竜の存在や行動を、被告人明竜が右所為に及んだ際被告人明桂の存在や行動をいずれも具体的に認定できず、被告人らもこれを認識して判示各所為に及んだとは認め難く、共謀関係を認めた被告人らの供述がないことなどを併せ考えると、被告人らが相被告人らと意思連絡のうえ判示各所為に及んだと認定することには合理的な疑いがあり、結局において、被告人明桂については被告人健中及び同明竜の判示各犯行につき、被告人健中については被告人明桂及び明竜の判示各犯行につき、被告人明竜については被告人明桂及び同明竜の判示各犯行につきいずれも共謀関係を認めることができず、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段に則り無罪というべきである。

(量刑の事情)

本件第一の事案は、夜間とはいえ人通りの多い盛り場において、多数の野次馬の見守る中で、被告人らが数人の制服警察官を相手に乱闘劇を演じたものであり、酔った勢いと群集心理にかられた犯行であるとはいえ、警察官の適法な職務行為の遂行を妨げかつ三人の警察官を負傷させた被告人らの責任は必ずしも軽いとは言えず、懲役刑の選択もやむをえないが、かかる事態に立ち至ったそもそもの原因は、酔余女性に乱暴を働いた弘や、一行の責任者として事態を収めるべき立場にありながらこれを忘れ、逆に率先して警察官らに食って掛り説得にも応じようとしなかった滋台の軽率な行動にあると認められること、各被害者の受傷程度が比較的軽微であったこと、故意にとは言えないにせよ被告人健中を頭から出血させてしまい、混乱状況の中で被告人ら一行のうち四名に傷を負わせたことなど警察官側の対応の不適切さも指摘されなければならないこと、被告人明桂が傷害罪で、被告人明竜が道路交通法違反の罪で、それぞれ罰金刑に処せられている以外、いずれの被告人にも前科前歴がなく、被告人らはいずれもこれまでごく普通の社会人として真面目に稼働してきており、現在もそれぞれの職場においてその務めを果たしているものであることなどの事情を考慮すると、第一の事案につき被告人らを実刑に処するのは適当ではない。次に本件第二の事案については、確認期間を四か月も徒過した被告人明竜の行為を除き、いずれも悪質とは言えないし、被告人らはいずれも日本で生まれ育ってきたものであることを考えると、主文程度の罰金刑にとどめるのが相当である。最後に、被告人明竜による第三の業務上過失傷害事件は、同被告人の故意に近いとも評価できるほどの一方的過失によるものであって弁解の余地なく、被害者らの受傷の程度も軽くはないうえ、自らは一度も被害者を見舞っておらず、しかも同被告人にはそれまでに道路交通法違反の罪による罰金刑三回の前科があるなど、犯情は良くなくその刑責は軽視できないと言わなければならないが、同被告人は事故後運転免許を取り消され既に行政罰を受けていること、その後被害者と車両所有者との間で示談が成立していることなどを考慮すると、第一の事案と併せ考えても、なお同被告人を実刑に処するのは相当でないと判断した次第である。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 重富純和 裁判官 山本慎太郎 石田裕一)

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